| [2001年10月01日] 土産 |
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スペシャルサンド(あさ) メンチカツ定食(ひる) カレーライス(ゆう) |
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恥の多い生涯を送ってきました。というでだしで今宵もはじめてみたいです。みなさんこんばんは。ぽいうです。じっさい、この生涯のこしかたをみやればそこらじゅうに恥ばかりがぼたりぼたりと落ちていて、そのひとつひとつを夜中におもいだしてはみもだえをしてしまうんだけど、今宵もそのひとつをご紹介します。キリスト教に、コクハクとか、ザンゲとかいうしきたりがあるよね。あれってもしかしたら、ひとりで秘密にしておくにはあまりに恥ずかしいことをだれかにバクロすることによって、みずからのこころの負担を軽減しようとする知恵なんじゃなかろうか。つよく、そうおもうことがある。そうしてじぶんのまわりをみまわして、おれにはそういったザンゲ聴聞所がまったく用意されていないことに気がついて、暗澹たる気ぶんになる。あるいはおれにとってインターネットはザンゲ聴聞所なのか。おれはここでコクハクをすることによって魂の救済をえているのか。しかしおれよ。なにもわざわざ全世界にむけてコクハクすることはないんじゃないのか。もしかしたらそれはたんなる露悪趣味ではないのか。いいやそんなことはない。こうすることでしか救われぬ生きざまもあるのだ、どうしてきみにはそいつがわからんのだ。って、いつまで自問自答していてもラチがあかんのでとっとと話をはじめるんだけど、いまから十年ばかりまえに、ともだちと三人でアメリカにあそびにいったことがあるのね。しりあいの女の子のおねえさんがアメリカのシアトルにすんでいて、けっこう仲良くしてて、あそびにおいでよってさそわれて、二週間ばかりそのおねえさんの家に滞在した。それはもうユメのような二週間で、カナダにいったりだとか、リノへいったりだとか、なんだとかかんだとか、ケツの毛までぬかれるような歓待をうけて、さいごの晩にそれはおこりました。おれたちはちょっとしゃれたレストランで食事をして、それから踊れるみせにいった。明日は日本にかえるのだ、もうみんなおわかれだ、いよいよこれで最後の夜だ、というふうにおれたちはいよいよもって飲んで踊って、そのうちおれはわけのわからない忘我の境地というか、たんなる前後不覚というか、ようするに酩酊状態になってしまって、そのあとどうやっておねえさんの家のベッドまでたどりついたのかはおぼえてません。とにかくめちゃくちゃに酔っぱらってねむりについて、なにか気がかりな夢をみて目をさましたとき、じぶんが、巨大なナメクジにでも変身してたほうがまだなんぼかマシだとおもいました。というのは、みずからのコカンのあたりと、ベッドのうえが湿っとったからです。ようするに、寝小便してしまいました。はあ。寝小便。それも大量に。さすがにおれもこれにはびっくりしました。びっっっっっくりしました。まっさかもうすぐ三十にもなるってのに、寝ションベンするとはユメにもおもってなかったよ。それからわたしの胸裏をよぎったのは、はるか日本でくらすとしおいた両親のことでした。こんな異郷の地で寝小便をしてしまったとしられては、もはや両親にあわせるかおなどありません。いっそこのままここでみずからのイノチを絶ってお詫びをしようとおもいました。というのはぜんぜんうそだけど、でもほんとに、かなりあせりました。まだ夜明けまえで、どうやってこの証拠隠滅をはかったらいいのかとおもいなやみ、とりあえずパンツをはきかえ、それからシーツをかかえて洗面所にいって、ざぶざぶとあらいました。そのまま巨大な洗濯機にほうりこんどいてもよかったんだけど、なにか良心がいたむものがあったので、ちょっとあらっとくことにしました。そうしたらうえの階でねてたダンさんていうひとが、それはおねえさんといっしょにその家でくらしてるひとだったんけど、ねぼけながら、ヘイユ〜ガ〜イズなんちゃらかんちゃら〜、とおれに話しかけながらおりてきて、ひっじょ〜にびびりました。あるいはそこでおれはコクハクするべきだったのかもしれません。寝小便こいてしまいました、と。三十を目前にしてこの日本男児、寝小便をひってしまいました、一生のふかくでござる、とうち明けるべきだったのかもしれません。でもおれにはいえませんでした。でも、かんがえてみてください。そんなこと、いえるとおもいますか? よりによってアメリカくんだりまでいって寝小便だなんて、いえるとおもいますか? わたしはとっさに、ナッスィ〜ン、のどかわいちゃってさ〜、とかなんとかてきとうにこたえてダンさんを安心させ、かれが階上にもどるのをみとどけて、すかさずシーツを洗濯機にほうりこんで、なにくわぬかおでベッドにもどりました。あいかわらずそれは濡れたままでした。夜明けのうすらあかりのなか、だれがどうみてもそれは寝小便の痕跡にほかなりませんでした。どうすんだよこれよ〜、とおもいました。でもどうにもなるわきゃないです。旅の恥はかきすてとかいいますが、旅の寝小便はかきすて、という格言をだれか残しておいてくれればよかったです。そうしたらすこしはなぐさめになったかもしれません。しかしもちろんそんな格言などなく、しょうがないのでおれはもうベッドメークをしました。完璧に、なにごともなかったようなベッドをつくりあげて、このままアメリカから逃げるしかない、とおもいました。それをすませると、満足して、あとはかたわらにあったソファーのうえにすわってうとうとしてました。あさがきました。みんなが起きてきて、あさごはんをいっしょにたべました。なんだかみんなちょっとセンチメンタルでした。みんなでなごやかに二週間のおもいでだとかを語りあいました。すてきなひとときでした。ただひとりの心情をのぞいては。そう、そのときのわたしのアタマのなかは、センチメンタルもへったくれもなくて、ただ、ぬれたベッドのことでいっぱいでした。たぶんおねえさんやダンさんは、おれたちがここをでたあと、おれのベッドをみて、そうして気づくのだろう。あいつ、寝小便をしていきやがった、と。そしておもうのだろう。これはいったいなんのつもりなんだ、と。そのことしかわたしはかんがえられませんでした。いっそいま、うち明けてしまおう、となんどおもったかしれません。でも、わたしにはいえませんでした。やがて、空港までわたしたちを送ってくれるクルマが家のまえにきました。わたしたちは全員でそとへでて、さようなら、またね、と順番におねえさんとだきあい、ダンさんと握手をかわしました。おねえさんはこらえきれずに泣きだしていました。ダンさんもうるうるしてました。わたしたちもみんなうるうるしてました。でも、そんなときでさえ、わたしの胸中は、寝小便のことでいっぱいでした。そこでうち明けるべきだったのかもしれません。でもいえませんでした。感極まって泣きだしてるおねえさんにむかって、じつはさあ〜、寝ションベンしちゃってさあ〜、なんていえるわけはありませんでした。そのままわたしたちは、お世話になった家をあとにしました。そうしてわたしはそしらぬかおで飛行機にのって、日本にかえってきちゃいました。そのご、おねえさんともダンさんともあっていません。おねえさんからは何通か手紙がきましたが、ベッドのことについてはなにもふれられていませんでした。ありがとうおねえさん。それから、ほんとうにごめんなさい。もう二度としないのでゆるしてください。たぶん。 |
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