[2001年11月03日] 万物同サイズの法則
ハンバーグの定食(ひる)
なべ。めし(ゆう)

方法論。というか、そんなおおげさなものじゃないけど、なにか目的があったとして、それを達成するためにもちいる手段というのはひとそれぞれで、もしも結果がおなじであるのなら、それをみちびきだすやりかたは楽なほうがいいわけだし、時間がかからないほうがもっといいし、スマートであるならなおさらいいし、そういうところでひとは能力というものをはかられることになる。たとえば、その一例として、たとえば、みずからのサイズを判定し、さらには品定めまでしてしまおうという方法論がある。そんな論があるのかという意見はこのさいおいといて。これにかんしていぜんよくきいたのは、ショートホープの箱を利用するやりかたである。いぜん、というのはおれが中学生のころなんだけど、そのころは、ショートホープの箱が日本オトコの標準サイズであるということになっていて、まあおれはドイツ人なので日本人の標準はあてはまらないのだが、いちおう興味はあるし、そんなわけでじっさいにあれをもちいて測定したりした。こういうことをいうときっとわけのわかっていないくたさんとかはショートホープの箱を手にとって、「えー? これってちょっとひらべったすぎない?」などとクビをひねったりしてなかなかわらわせてくれるんだけども、ええと、あのまんまもちいるわけではないです。そうではなくて、中身をぜんぶすって、いやべつにすわなくてもいいけど、とにかく中身をとりだして外箱だけにして、さらにこれをまるめて円筒状にして、そのふとさが日本オトコの標準のふとさであると、こういうことになっとりました。したがって、箱でつくった円筒にはいれば標準より細、はいらなければ標準より太、という判定がくだされることになっとったわけです。だけどこれっていっけん簡単にみえてじつはけっこうやりづらかったりする。まあふつう平常時ははいるよね。平常ってなんだ。じゃあそうじゃないのは非常時なのか。すいませんそのへんはどう表現してよいのかすぐにはおもいうかびませんが。とにかく平常時ははいる。はいるよな。ふつうはいるだろう。問題は非常時だ。だいたい平常時なんていうのはどうだっていいのだ。つねに問題は非常時にある。ところがこの肝心の非常時がなかなか測定できない。おそろしくはいりづらいのだ。やはり。ほら、形状的にいって、さきっぽに最大値があるから、はいんないんだよね。ってここでそういいきってしまおうとすると「オレははいるけどな‥‥」とさびしくもらすやつがどこかにひとりくらいいて、同情のナミダをきんじえないんだけど、まあかれについてはかるく背中をぽんとたたいて、目をみつめてうんうんとうなずいてすませておくとして、一般の、はいらないひとはじゃあどうやってはかればいいんだろう。ここでまずおもいつくのは、平常時にあらかじめいれといて、そのまま非常事態をむかえればいいのではないかという手法である。‥‥ふとおもったんですけど、なんかけっこうきょうはえげつないですね。けっこうもなにも、えげつないですね。ええと、くたさんまだよんでる? ほーい(手をふったおと)。平常時にそうちゃくしといて、だんだんおおきくしたらいいんじゃないかとおもうんだけど、どうかなあ。くたさんどうおもう? と、なんのツミもないくたさんにセクハラ行為をかましつつさらに話はえげつないままつづいていくんだけど、円筒にしたショートホープをさしこんで準備をととのえたところでハタと気がつく。なにもこんなことするひつようはないんじゃないか。非常時をむかえたところでオモムロにヒモかなにかをぐるりとまきつけて、一周したところにシルシをつけといて、それからショートホープの箱にまきつければ、それで判定できるじゃんか。このへんになってくると、にんげんは知能があるイキモノであるなあと実感するというか、なんだか仕事がデキルオトコというかんじになってくる気がするんですが、どうですか。え。そうおもいませんか。などとつめよったりすると、しかし、ここでひらきなおったくたさんは指摘するかもしれない。そんなの彼女にきいてみりゃいいじゃない、と。なるほどくたさん、たしかにそれはいえてるよ。単刀直入に、「おれっておおきい?」と彼女にたずねる。もちろんこれがいちばんてっとりばやい。おれもそうおもうよ。いちいちショートホープを十本もすって空き箱をつくるひつようはない。ほんの数秒でことたりる。簡単明瞭にして、おまけに確実でもある。デキルオトコがえらぶ方法論はこれであろう。‥ってほんとにそうおもう? あまいですくたさん。じつはそんな論はぜんぜんだめなのであって、論外なのであって、この論の問題は、ふつうそこで女の子というのは事実をありのままにのべたりはしない、ということだ。たとえ聖書に片手をおいて宣誓をしたとしてもそれはそういうものなのであって、つまりどんなにそれがちいさかったとしても「ちいさいよ」とはこたえないのだ。たとえそれが赤ん坊の小指の先ほどであったとしても「ふつうじゃないかな」とか「おおきいよもう」とか、つまり、標準以上のサイズであるといってくれるような気がする。なんか、女の子って、こころやさしいものだよなあ。なんとなくいま、しみじみとそうおもってしまった。つうかそういうときに、「ちっちぇーよっ」とか「このソチンっ」とか(なんておそろしいせりふだろう)はき捨てるようにいう女の子がいたりしたら、それはそうとうこわいです。さいわいなことにそういう経験というのはまだないけど。まあしかし、たとえあったとしてもいまさらそれはどうしようもないし、テクニックをみがいてたしょうは補えるかもしれないけど、そんなのはたかがしれてるし、そんなのよりなによりけっきょくはあいなんですよね。そうなんだよね? そうおもうよね? おねがいだからそうおもってください。というふうにムリヤリなしくずし的にまとめたところでほんじつの一枚。1975年のフランクザッパで『万物同サイズの法則』(One Size Fits All)。どうでもいいけどおれたちが「フリーサイズ」っていってるのは英語だと「One Size Fits All」です。名盤。


万物同サイズ

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