[2001年11月05日] くさる
菓子パン(あさ)
うどん。中華丼(ひる)
あじのあげたの。めし(ゆう)

 地上0.8メートルのあたりにある目だまからよのなかをみまわしてくらしてたころ疑問にかんじてたことは、現在にまけないくらいたくさんあって、そのひとつは、道バタでクルマにやられてしんだイヌやネコたちの死骸、あれはいつのまにかなくなってしまうのだが、あれはなぜか、ということだった。それがアフリカのサバンナであれば、ハイエナだとか鳥類だとかが肉をくらって骨をなめてくそにしてしまうのだということで話はわかりやすかったのだが、おれの町にはハイエナがいないし、鳥類だってスズメだのツバメだの、ぜんぜんさえないやつらしかいなかった。そんなわけで、幼少のみぎりから現在とどうようにヒマをもてあましてたおれは、道バタでしんでいるイヌやネコの死骸をみつければ、毎日のようにその場所に観察にでかけたのだった。連中はたいていおそろしい状態で息たえていて、あたまがけずられていたり、はらわたがはみでていたり、そんなふうに往生してくれていたのだが、だんだんいやなにおいがするようになり、すこしずつかたちをくずし、肉はとろけ毛は風にとばされて、やがては道路のシミになり、そのシミも雨にながされてけっきょくはあとかたもなく消えさってしまう。とくに夏はあしがはやくて、二日もすればにおいがしはじめ、あとかたもなくなるのに4週間もかからなかった。ひとことでいって、くさったわけだけど、そのころは、くさるというしくみがいまひとつわかっていなかったので、そういう変化が不思議だった。もうひとつ、それがそのことと関連してることだなんて夢にもおもわないことだったのだが、とうじわがやでは食事のくいのこしやくいかす、生ゴミってやつを庭にほった穴にうめて処理していたのだが、それがなっとくがいかなかった。そんなことをつづけてると、いつか家の庭の地下がゴミでうまってしまい、どこをほりかえしてもむかしの食事のくいかすがでてくるんじゃないか、おそろしくてしょうがないじゃないか、といったことを危惧していた。地球のなかみがすべて生ゴミでいっぱいになってしまうようで、とうとうがまんがならなくなったおれはある日、穴にゴミをすてている母にそのことを指摘した。かあちゃん、そんなことしたらいえの庭がいつかゴミでいっぱいになっちゃうよ。かあちゃんはそこでおおわらいをして、それから父にこの件をはなし、父もまたおおわらいをして、それからおれのところにやってきた。そうして意外なことをいった。マサオ、それじゃあこのまえの穴をほってみるか、おれがほってやるからおまえはみていろ。父はマデヤからスコップをとりだしてきて、半年ばかりまえまでゴミをすてつづけていた穴をほりかえしだした。どきどきしながらおれはそのようすをながめていたのだが、なんとびっくり、そこからでてきたのは小判のざくざくつまった千両箱だった。というのはもちろんうそで、ほってもほっても土しかでてこないのだった。いったいあの膨大な量の生ゴミはどこにきえたのか? 魚のホネや野菜かすはどうなってしまったのか? ぜんぜんなっとくのいかないおれに父は、ほらな、マサオ、ゴミはぜんぶ土になるんだ、とおしえてくれた。そのときはただ、へえとかんしんするばかりだったのだが、やがて、それからずいぶんちょうじたある日、中学生のころだが、そのことがとうとつに、たいへんな奇跡のようにおもえた。道バタのイヌネコの死骸がきえてなくなるのも、庭にうめた魚のホネや野菜くずがきえてなくなるのも、ミミズやダンゴムシや目にみえないようなちいさないきものが、それらをくってくそにしてしまうからなのだ。そのくそを、もっとちいさないきものがくって、もっとちいさなくそにしてしまうのだ。そのくそをもっとちいさないきものがくってもっとちいさなくそにして、そうしてとうとう土にしてしまうのだ。その土で草や木がそだつ。その草をくっていきものがそだち、その木のしたでいきものがやすむ。なんてこった。いったいこのしくみはだれがおもいついたんだ? ありがたいとしかいいようがないじゃないか。
 そんなわけで、この件についてはいちどきちんと感謝の意を表明しておきたかったので、感謝をします。どうもありがとう。だれがおもいついたかわからないんだけど、おもいついてくれたひと、どうもありがとう。おかげでたすかってるよ。

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