[2001年12月24日] 釣
ジャムパン(あさ)
のりべん(ひる)

→メリー・クリスマス。というか、あの、ですね。こんな、インターネットをしていていいんですか。しかもこんなくだらないホームページをみててだいじょうぶですか? そんなばあいですか? ってよけいなお世話だけど。それいぜんにじぶんの心配をしてろというかんじだけど。
→てなわけできょうは12月24日、そしてわたしはカイシャにいるのでした。はあ。休日出勤です。だからなんだということはなくて、グチをならべたてようとかやつあたりしようとかいうつもりは毛頭なくて、まあこういうこともあるだろうとおとなしく勤務をしています。あたりにはひとの気配というものがまったくない。こういうクリスマスというのもどうかなあという気はさすがにする。じつをいうと個人的にはクリスマスはものすごくすきだったりする。クリスマス・ソングだとか、クリスマス・ツリーだとか、クリスマス・プレゼントだとかクリスマス・ケーキだとか、そういった緑と赤と白にいろどられたクリスマス的なものとクリスマス的な気ぶんというものはだいすきだったりする。でも、クリスマスだからだれかとロマンチックにすごさなくちゃ、といった緊迫感みたいなものはあまりない。クリスマスをひとりですごさないためにあわててコイビトをさがしだしたりだとか、クリスマスになるとどこのホテルも予約でいっぱいだとかいった話をきいても、みんながんばってるなあとおもうだけで、ほかにこれといって感想はない。のん気なのかな。そうなんだろうな。わかんないけど。ただ、じっさいにこうまで世界の終末的にひとりぼっちだと、さすがにうらさびしいものはある。クリスマス、会社でひとり、屁をしてもひとり。ぶっ。
→ところでわるいくせがあって、こういう状況におかれるとすぐ、ふだんできないようななにかをしでかしたくなる。小学生のころにまちがって休日に登校してしまい、教室にひとりぼっちでいたことがあった。やがてきょうは休日だと気がついて、おとなしくさっさとかえりゃいいのに、せっかくのチャンスだからとふだんできないようななにかをしでかしたくなった。あれといっしょだ。いまだにそういう衝動がむらむらとわいてくる。意味もなくオフィスの床に釣り糸をたらして釣り人のマネをするとかしてみたい。そしてうたたねをしていたら、いつのまにかうしろに上司がたっていて、「なにか釣れますか?」とたずねられたりして。それはまずいな。
→そういえば高校生のとき、おれのかよった高校はとなりまちにあって、雨がふった翌日、道に水たまりができるとそこに釣り糸をたらすおじさんがいた。たんなる水たまりである。おじさんは、まちなかの、水深3センチメートルだとかの水たまりに、ちゃんと釣り用の折りたたみ式の椅子にすわって、釣り竿をかまえて、えんえんと釣り糸をたらしてるのだった。なかなかヘビーデューティーな装備だったとおもう。さすがにこれをはじめてみたときはかなりびっくりした。ありふれた日常風景のなかにそこだけ非日常の時空間が出現したみたいだった。あの衝撃というのはなかなかみたひとにしかつたわらないかもしれない。ところが、そんなに衝撃的な光景だったのに、慣れというのはふしぎなもので、いったんおぼえてしまうとだんだんどうということもなくて、やがては水たまりに釣り糸をたらすおじさんの姿すら日常のなかに埋没してしまった。おじさんがあらわれる通りというのはだいたいきまっていて、雨がふって水たまりができるといつもおじさんがいて、「釣れますか?」とかたわらをとおりかかるたびにたずねたくなった。おじさんのとなりにはバケツがあって、なにか釣果はあったかなと横目でのぞきこんだりしてたけど、いつもなにもなかった。オタマジャクシでもいれといてやればよかったかな。
→ってこんな話はどうでもいいですね。すまんすまん。とにかく。メリー・クリスマスです。みなさんにすてきな夜がきますように。

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