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たとえば推理小説をよむときに、真犯人はだれなのか、事件の真相はどうなのかと、かんがえながらよみすすめるひとというのはどれくらいいるんだろう。ひとつひとつのディテイルを吟味し、登場人物がなにげなくくわえたタバコにすら注意をはらって、その行為はなにかの伏線なのではないかとつねに油断をせずに身構えながらよんでいるひとというのはどれくらいいるんだろう。ちょっと想像がつかない。そのはんたいに、まったくなにもかんがえないで、ただひたすらによみすすめてしまうひとというのもいる。すくなくともひとりはいる。おれがそうだ。おれは推理小説というのをよむときには、はなから真犯人をみつける努力を放棄していて、だれが犯人なんだよ、はやくおしえてよ、はやくはやく、というふうによんでいる。せっかちなのか、めんどうくさがりなのか、あたまがわるいのか、そのすべてなのか、ちかごろではこのヘキがいきつくところまでいってしまっていて、とちゅうをよむのがもどかしいというので、中間はすっとばしておしまいの謎ときのところだけをよんで満足していたりする。まるで射精がすべてのセックスみたいで、ベッドのうえでこんなことをやったら女の子にきらわれるのはまずまちがいない。……いやそういう話じゃないな。すまん、そういう話じゃなかった。いまのナシ。それで、推理小説の話なんだけど、あれというのは真犯人を推理しながらよむものだというアタマがあったので、おれもさいしょはそれなりにかんがえながらよんだりもしていた。ところがどうにもそれがめんどうくさい。まだるっこくてしかたない。ためしになにもかんがえずによんでみると、それはそれでおもしろい。むしろそっちのほうがおれにはここちよい。こういうのは性格的なものなんだろうとおもう。つまり、このさきどうなるんだろうとか、きっとこれはこうなるんだろうとか、そういったことをなにもかんがえずにいて、ただいっさいはすぎてゆきますという心境でまったくこころがまえをせずにいて、意外な事実があきらかになるたびにあっとおどろいているのがすきなんだとおもう。そうやって作者にいいように翻弄されてるのがすきなんですね。たぶん。そんなわけで推理小説にかぎらず、小説だとか映画だとかテレビドラマだとか、いつもいいようにもてあそばれている。ただたんにかんがえるのがめんどうくさいのだというみかたはあるけど。
それで、かんじんのリアルのほうはどうなのかというと、すなわちじっさいのじんせいはどうなのかというと、やっぱりこちらもストーリー展開にいいように翻弄されていたりする。嵐の海に漕ぎだした小舟のように、いいようにもてあそばれていたりする。このむとこのまざるとにかかわらず。というか、こっちは翻弄されるのはあまりこのまないんだけど、推理小説のよみかたをとおしてあらわされるタイドというのはじんせいにおいてもおんなじで、あらゆる伏線を見逃しまくったすえに意外な真相だとかどんでんがえしだとかにでくわして、そのたびにびっくりしている。そんなときにおもうのは、このじんせいというのもやっぱり伏線だとか前兆だとかは存在するということだ。それにみちているとさえいえる。なにかあっとおどろく衝撃的な事件があっても、あとになってよくよくかんがえてみると、そういえばあのときああだったとかこうだったとかおもいあたることがある。そして、こうなることは予測できたんじゃないかとくやしくなる。たとえばおひるに天ぷら定食をたべてかえったら晩ごはんのおかずが天ぷらだったとしよう。あっとおどろくショッキングな事件だ。しかしよくかんがえたらまえの晩に妻が新製品の天ぷら油のテレビコマーシャルにじっとみいっていただとか、料理雑誌の天ぷらの記事をたんねんによんでいただとか、天ぷらがたべたいなあとネゴトでつぶやいていただとか、あしたは天ぷらにするからねとはっきりと宣告されていただとか、あとになってみればおもいあたるフシというものがつぎつぎとでてきて、これは予測できた事態ではないかとホゾをかむことになる。これが天ぷらくらいですんでるうちはいいんだけど、たとえばある日出勤してみたら会社が倒産して社長が夜逃げをかましていたとか、女房が間男をこさえて出奔してしまったとか、高校生のむすこが金属バットをたずさえて寝室にしのびこんできたとか、その場になったらもう後悔してもしきれない事態というのがある。そのごにおよんで、それでもふだんなにもかんがえずにいてひたすらじんせいのストーリー展開に翻弄されるのがすきなのかときかれたら、そんなことはだんじてありませんとこたえるしかない。ナミダながらにワタシがわるうございましたと謝るほかない。してみるとやっぱりふだんからさまざまなことに気くばり目くばりというのはしておくべきなのであって、性格的なものはともかく習慣的にはそういうタイドを身につけておくべきなのであって、だから推理小説なんかもちゃんと真犯人はだれかをかんがえながらよみすすめるべきなのだということになる。そっ、そうだったのか。おれがわるかったよ。おれもこのタイドをあらためるからみんなもあらためろ。じんせいは伏線の連続だ。花に嵐のたとえもあるぞ。深読みだけがじんせいだ。
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