[2002年03月09日] 翳
オムライス(ひる)
ハンバーグ。ごはん(ゆう)

しつこく写真の話。
背景にうつった玄関のむこうは薄暗くてよくわからず、そう、この頃の家のなかというのはそうだったなあとおもいだす。そこは、ひるまもひんやりと薄暗いところだった。谷崎潤一郎っていうむかしの小説家の『陰翳礼讃』という文章があって、日本人はこの薄暗さに愛着をおぼえていたのだという話なんだけど、たとえば黒塗りのお椀なんかは、そういう薄暗い家のなかの、そばにいるひとのかおもさだかではないようななかでもちいられるともう、すいこまれるような美しさをみせる。いまみたいに、ぴかぴかの照明器具のあかりにてらされてつかうのは、だいなしもいいとこなのだよとかそういう話がいくつかでてきて、いわれてみるとなるほどというかんじである。かんがえてみればそういう薄暗さを前提としてつくられたものというのはわりとあるはずで、あかるいヒカリのしたでみるとヘンテコにみえるものでも、ためしに薄暗いところでみてみたら印象がかわるものってたぶんたくさんある。たとえばむかしの女郎の化粧なんかは、いまのおれの感覚からするとなんじゃあれはというかんじだけど、薄暗い部屋の行灯のあかりにぼ〜っとあのしろい首筋がうかんだりしたらけっこうたまらなかったのではないかという気はする。ひじょうにする。あの化粧というのはべつにふざけていたわけでもなんでもなくて、たぶん顧客のニーズに対応して進化したかたちなのだ。そんでその文章の白眉に、とうじのトイレの話があって、むかしのトイレというのは板に穴をあけただけのところで、そこに排泄をしてたわけだけど、板一枚のうえとしたでふたつの世界にわかれていて、ふたつの世界をつなぐ穴のむこうは薄暗く、どこからが清浄でどこからが不浄なのかその境目はだれにもわからず、あくまでグラデーション的に変化してゆく通路であるところのその穴のおくに脱糞をするこのヨロコビ、このたまらなさというのは、ピカピカに磨いた西洋便器に糞をひる西洋人などには到底わかるまいというくだりがあって、正直いってこれはよんでておれは感動した。あ、もちろん文章はもっとぜんぜん格調たかいです。おれみたいに花粉症でハナジルをずるずるすすりながら「うい〜」とかうめきながらつづっとる文章とはわけがちがっていて、格調高くそのようなことが語られています。『陰翳礼讃』。たとえばそれはこの写真にうつった玄関のむこうの暗がりもそうで、ひるまの光がまぶしいそとの世界から家の玄関をくぐりぬけるとそこには薄暗い湿った空間があって、しかしそこにはハッキリとした境目はなく、一歩ゆくごとになんとなく薄暗く湿ってゆく湿ってゆくその果てにあるものは………ええと。なにがあったんだっけな。つうかなんにもありませんでした。テレビも冷蔵庫も洗濯機もなんにも。

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