| [2002年04月24日] Papa was a rolling stone |
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コンビニ手巻きずし(あさ) ラーメン(ひる) ニク。めし(ばん) |
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ギャンブルでは、ときたま、どこまでも負けることのできるやつというのがいる。とうてい一生かかってもはらいきれないような負けをおって、滅んでいくやつがいる。そして、あの美しさはいったいなんなのだろうとおもう。滅んでゆくその過程は、いつだって痛々しくて、あおざめていて、不幸で、美しい。しみったれなおれにはそれができないので、だからあこがれずにはいられない。おれのおじさんにひとり、そういうひとがいた。おじさんはなにもかも賭けて、やがてなにもかも失った。おじさんが滅んだのはおれが小学生のときだった。やくざの運転するクルマの後部座席にすわらされて、焦点のさだまらないめつきであちこちつれまわされていた。カタにはめられつつあるところだったのだとおもう。ある日おじさんはおれの家にあらわれて、おれしかいないとしると、マサオ、おまえの家の権利書をくれ、といった。笑顔だったが目のいろはあきらかにおかしかった。そんなものはどこにあるのかわからない、とこたえると、じゃあこれから紙に文をかくからそこにハンコを押せ、といっておじさんはほうりなげてあったおれのランドセルからノートをとりだして、そこから一枚をやぶり、なにやらかきだした。権利書、とかこうとしたらしいのだが、ところがおじさんは木とかいただけでそこでとまってしまった。権を漢字でかけないのだとおもっておれはショックをうけた。それから、な、なんてカッコよさなんだ、と内心トリハダがたつおもいがした。このひとはいま、小学生の親戚の子供をだまそうとしているのだ、というのはおれにもわかった。そのときおれがいだいた感情は、恐怖と、それから尊敬だった。月日がすぎて、いよいよさいごのときがちかづくと、おじさんはわけのわからない行動をとるようになった。自宅や近所の家の玄関だとか庭だとかでこっそり脱糞をして、それをそのまま放置したりとかしだした。それは近所の評判をよんだ。その大便がおれの家の玄関にまでおよんだとき、とうとうおじさんはいきつくところまでいってしまったのだとおれはおもった。おじさんはあちこちに脱糞をしはじめたすぐあとに家を失い、家族をほったらかして失踪をした。テンプテーションズがアメリカで『Papa was a rolling stone』を大ヒットさせていたのはちょうどそのころだったとおもう。「9月3日のことだった。その日をぼくは忘れない。お父さんがしんだ日だ。ねえママ、パパはどんなひとだったの、ほんとのことをおしえてよ」「パパはローリング・ストーンだったのよ」という、子供にきかれるままにママが、パパがいかにろくでなしであったかをかたってきかせるあの歌のなかで、たしかにパパはヒーローだ。まわりにいるにんげんをみんなキズつけて、よりみぢかにいるにんげんはよりいっそうキズつけて、あらゆる誘惑にまけて、だれもかれも裏切り、うそをいい、そのせいでだれからもうしろゆびをさされ、なじられ、みじめな王様のようにほろんでいける男というのがいて、ほんとうはみんなその姿にあこがれているくせに、ちんけなおれたちにはそれができないので、だからあのぶざまな姿にあこがれずにはいられないのだ。おじさんがひとりぼっちでしんだのはそれから二十年ばかりしてからだ。役場から連絡があって、親戚のだれかがどこだかへ骨をひきとりにいった。葬式をあげたかどうかはしらないが、位牌は仏壇にある。あこがれのおじさんの位牌だ。おじさんのことをおもうと、もっとしっかりしろ、とおれはじぶんをはげましたくなる。あんなふうにほろんでいけるおじさんがみぢかにいたじゃないか。あの血がおれにもながれているじゃないか、と。おじさんのしんだ年の盆に、どこできいてきたのかひとりだけ、おじさんの古い友人で、香典をもってきたひとがいた。だれもいないときにその香典袋のなかをたしかめると、五千円札が一枚はいっていた。おれはそれをにぎりしてめてパチスロをやりにいった。それはおれのおじさんにたいするささやかな供養のつもりだった。あんのじょう負けたけど。 |
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