[2002年05月29日] テレグラム・サム

→結婚式というのをやってみてしったんだけど、ちかごろはぬいぐるみつきの電報というのがある。ぬいぐるみの脳天がぱかっとひらいて電報がでてきたりだとか、ケツの穴がぱかっとひらいて電報がでてきたりだとか、いろいろとくふうがこらされている。友人や知人からのメッセージをぬいぐるみがせっせとはこんできましたというかんじで、なかなかほほえましい。でも、ひとつやふたつならいいんだけど、大量にとどくとちょっとこまる。じっさい大量というほどではないけど、そこそことどいてしまって、ちょっとこまってしまった。おおきめの紙袋にいっぱいになってしまい、UFOキャッチャーみたいな状態である。大阪の結婚式場から茨城の自宅までもちかえるのもけっこう大変だし、もちかえったところで、もうしわけないんだけど飾る気がおきない。もうしわけないんだけど。おれのところは新婚といってもわりととしをくっているので、ぬいぐるみがにあうような家庭ではなさそうだし、そもそもぬいぐるみというのは、いっけん万人受けするようにみえて、じつはああいうのは苦手だというひとは多いんじゃないかとおもう。ディズニーランド的なものだとか、サンリオ的なものだとかは、じつをいうとおれはそんなにすきではなくて、たぶんうちの妻もそれはそうだとおもう。よくしらないけど。とりあえず彼女がもってきて部屋に飾ったのは十体ばかりの妖怪変化のたぐいの人形なので、サンリオ的なひとではないみたいである。しかし、趣味があわないからといってまさかそのへんにすてていくわけにもいかないし、そんなわけで、披露宴のあとのホテルの部屋で、紙袋いっぱいのぬいぐるみをまえにして、とほうにくれてしまった。「これは新手のいやがらせだろうか?」とすこしだけうたがいたくなってしまった。けっきょく茨城からよんだ友人たちの、子供のいる連中に半ば強制的にもちかえってもらったんだけど、あからさまにいやなかおをするやつもいたりして、なんだかすまないことをした。かといってもちろん、ぬいぐるみをくれたひとたちには責任はない。どうせ送るんならぬいぐるみつきのにしてあげようというきもちになるのはわかる。ただ紙きれを送るだけというのもなんだかあじけないし、おれだってたぶん、送られた側がこういうことになってしまうのをしらなかったら、そうしちゃうとおもう。じゃあだれがわるいのかというと、このサービスをおもいついたひとだって、それはビジネスなのだからいたしかたのないことなのだし、けっきょくだれもわるいひとなんていなくて、ただやみくもにものがつくられてあまっているいまのよのなかのとばっちりということなのだろう。だれにもわるぎなんてないのに、われわれは、みずからの手で、われわれのよのなかをごちゃごちゃにしている。
→ところで、もういっそひらきなおって鉄アレイつきの電報サービスなんていうのがはじまったら、ぜひそれは送ってみたいとおもう。重りのところがぱかっとはずれてなかからメッセージがでてくるという。重さはもちろん、重ければ重いほどいい。ぜひこれはだれかの結婚式に送ってみたいです。そういうのが十個も二十個も披露宴会場に送られてきたら、新郎新婦、ズイキのナミダはまちがいなし。電報屋さん、そういう商品をひとつ開発してみてはいかがでしょうか。

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