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このワールドカップ騒動でもって日本全国各地たくさんのありうべき事象群およびありうべからざる事象群がまきおこっているわけですが、これらの事象群にかんして筆者がおもうにあの青い服が関与しているブブンがダイなのではないかと。ひとびとをしてわれをわすれせしめた最大の要因にあの青い服があげられるのではないかと。じっさい、ほんの出来心で青い服をきてしまったがためにあのさわぎの渦中に身をしずめることとなってしまったおおくの付和雷同組とでもいうべきひとたち、かれらのほとんどはたぶん、ふだんはまちなかで奇声を発するなんてとんでもないという、従順穏和な一市民であったにちがいありません。ところがこれが、たんに青い服にソデをとおしたという、たったそれだけのことでみんな豹変してしまったのです。意味不明なオタケビをあげながら公道をねりあるく。どこかできこえるタイコにあわせて「ニッポン」と両手をかざす。サルの本能がもどって街灯にするするとよじのぼる。カエルの本能がもどって池にとびこむ。イヌの本能がもどってそこらをかけずりまわる。ほえる。小便をする。まぐわう。あいやさすがにまぐわいはしないかもしれませんが、とにかくみなさん、これらはすべて青い服によってうみだされた事象です。まったくもって不可思議なるにんげん行動の神秘といわざるをえません。なにしろ筆者自身この身をもってそれを体験してしまったのでよくわかるんです。あの青い服にはおそるべき魔力がひそんでいます。ほうっておいたらどこまでも暴走しかねない危険性をひめています。大阪においては青い服をきたひとの群が道頓堀に身をなげて集団自殺をはかったとききます。たぶんかれらはレミングスの本能がもどってしまったのでしょう。ここで日本がまけてくれてほんとうによかったと筆者は胸をなでおろしています。あのまま日本が勝ちつづけていたら、大阪市民全員が道頓堀に溺死体となってうかんでいたにちがいありません。あぶないところでした。このようなひとびとのじぶんをみうしなった行動は、いっけん、まったく理解しがたいことであるようにおもわれますが、じつをいえば、それをしてしまう気もちというのは筆者にもイタイほどよくわかるんです。みなさんごぞんじのとおり筆者は常識人です。模範的社会人です。冷静沈着、不惑の四十代です。ところが、そんな筆者でさえ、いったん青い服をきてしまうともう自制心がはたらきません。どこかで「どんどんどん」とタイコを三発うたれると、自動的に「ニッポン」とくちばしって両手を前方にさしだしてしまうんです。じぶんの意志なんて関係ないんです。まるでじぶんのカラダが機械仕掛けになってしまったみたいなんです。じぶんでじぶんのカラダがコントロールできず、そして、そうやって「ニッポン、どんどんどん、ニッポン、どんどんどん」を無限にくりかえしているうちに、なにやらフシギな幸福感に全身がつつまれていきます。この青い服のなかに群れていれば、なんにもかんがえなくてもどこかにつれてってもらえる、というような安心感。そこにはにんげんとしての尊厳や誇りはいっさいみあたらず、あるのはただひたすらに安堵のこころもち。この安堵感はいつしか快感にかわり、やがてよのなかのめんどくさいことなんてすっかりわすれて、ただこのなかにうずもれていたいと、ただそれだけをつよくねがっているじぶんを発見しました。これらはすべてひとえに、青い服のなせるわざです。イナカのタンボ道をひとりてくてくあるいていて、どこかでクルマのクラクションが「プップップ」となったとしても両手をさしだすひとはいないでしょう。都会の群衆のなかにいたとしても、みんながおもいおもいの服をきていたならやはり、そうするひとはいないでしょう。ところがこれが、みんなで青い服をきてしまったら、だれもおのれの両腕をおのれの意志では制御できない。しんあいなる日本国民のみなさん。これはおそろしいことです。たぶんじんるいはその歴史のうえで、この魔力によってさまざまなコトをしでかしてきたのにちがいありません。おそるべしユニホーム。
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