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大学生のときに所属したサークルは作詞作曲部というやつで、わたしやわたしの仲間たちは作詞作曲なんかよりもコピーをしていたほうがたのしかったのでコピーばかりしていたのだが、コピーというのはフリーだとかリトルフィートだとかブラックサバースだとか浅川マキだとか松田聖子だとかなんだとかかんだとかの楽曲を節操も貞操もなにもなくてあたりしだいにコピーしてニヤニヤとよろこんでいたのだがしかし、いやしくも作詞作曲部というからにはなにか作詞作曲をするしかなくて、それでてきとうに曲をでっちあげてその演奏もした。どこで演奏をしたかというと夕暮れの教室である。そこには聞き手としてサークルの先輩がたがいて、われわれ新入生のバンドは先輩のまえで演奏をして、先輩はその感想を紙にかいてくれるのだった。そういうしきたりがあるのだとさいしょに説明をされたとき、なんというバカなサークルに入部してしまったかと後悔をしたが、そのくらいのことでやめるのもなんだかすまないのでいわれたとおりにやってみた。もともとしきたりときくと無条件でしたがいたくなるたちである。
われわれの曲の感想がしるされた紙は先輩の人数ぶん、すなわち2,30枚もあったが、どれもこれもやくたいもないくだらない内容で、いよいよなんというバカなサークルかとわたしはよんでいてなみだがにじむおもいがした。ところがそのなかに、一枚だけ、度肝をぬかれる感想があった。それはこういう感想である。
君達の言いたい事はわかる。
だが、人生とは、そのようなものではない。
これにはわれわれバンドメンバーはひとしく、仰天をした。ひとけのなくなった学校の、部室の建物のあった裏庭のベンチでわれわれは、これはなんのことか、とよつゆにぬれるのもわすれてはなしあった。君達の言いたい事はわかる、といわれても、そもそもそのときのわれわれには、言いたい事などなんにもなかったからである。なんにもないのにどうしてそれがわかるというのか。不可解であるとしかいいようがない。いやもしかしたら作曲者にはいいたいことがあったのかもしれない。演奏したわれわれも気づかない深い意図がその曲にはこめられていたのかもしれない。それをつくったのはギタリストのヤスダという情けない男だったのだが、それでためしにみんなでこのヤスダに、おまえ、あの曲でなにかいいたいことがあったのか、とたずねてみたところ、あんのじょう、なんにもない、なんにもかんがえていない、というこたえだった。そしてとどめは、だが人生とはそのようなものではない、ときたものである。さっするところつまり、われわれはその曲でかれにたいしてなにか人生をかたってしまったものならしい。ところがその人生観はかれのそれとは相容れないものであったらしい。ではわれわれの人生観とはなにか。そしてかれの人生観とはなにか。かんがえてもまったくわけがわからず、こまりはてた。いったいわれわれはなにがいいたかったのか? われわれの曲にはじつは、ほんとうは、なにか意味があったのか? はなせばながくなるのだが、それから二十年の歳月がすぎた。この二十年間、つねにわたしはこの疑問をむねにいだきつづけてきた。はたしてあのころのわれわれにはなにか、いいたいことはあったのかという疑問である。そうしていま、冷静に、公平にかんがえて、われわれがあの曲でいいたいことはやはり、なにもなかったのだと、わたしはそう確信する。そんなものなどあってたまるか。そして、この評をのこしてくれた先輩には、あなたはたんにひとりでおもいつめていたのだ、もうしわけないのだが、あなたはひとりでどこか月の暗い側にでもいっていたのだ、ともうしあげたい。もうしわけないのだが。
その後もこの新入生の自作曲の演奏会というのは毎月のようにあって、そのたびにこのひとは月の暗い側から突拍子もない素っ頓狂な感想をのべてくれた。「俺の屍を乗り越えて行け」だの「ついに君達はそこまで到達したというのか」だの、その名言には枚挙にいとまがない。それはもはや、感想などといった地平はあきらかにつきぬけていた。このひとはだれなのか、さいしょはそれがわからなかった。すべて無記名だったためである。しかしやがてわれわれは、そのひとをつきとめた。つきとめるまでもなく、このひとはどのバンドに対してもこういうたわけたことをいうのでサークルで有名であった。それは広島の出身のひょろひょろとした長髪の男で、フォーク村の最後の生き残りだというふれこみだったが、フォーク村というのがなんのことかわからないうえにその最後の生き残りときたひにはわたしにはどうしたものやら途方にくれるしかなかった。しかしフォーク村は話をしてみるとべつだんとりたててかわったところもなく、ありきたりの地方出身の暗い大学生で、つまり、ふだんの話はまともなのだが、いったん筆をとらせるととつぜん月の裏側にとんでいってわけのわからないことをかきなぐってしまうひとであるらしかった。
そういう性質のにんげんというのがいるというのをわたしはこのとき学んだ。
それからもしかしたら、とかんがえたのは、こういうひとが評論家というやつになるのではなかろうかということである。そののべている論の妥当性はともかく、度肝をぬかれたのはこれはたしかなことで、そのことはみとめないわけにはいかない。そもそもたかが学生の鼻毛をぬきぬきでっちあげたような楽曲にたいして、人生の風呂敷をひろげられるものではない。これはもはやひとつの才能である。この男がこのままひとびとの度肝をぬきつづけて、そしてやがてひとかどの評論家にならないと、どうしていえようか。いやむしろ、やがてそうなるとかんがえたほうが自然であるとわたしにはおもわれた。幸か不幸か、そのごこの男がどういうにんげんになったのか、わたしはしらない。あるいはいまこの男が、あなたのまわりでなにがしかの評論家をなのって文章をつづり暮らしているというのは、じつにかんがえられることである。たとえばラーメン評論家として、チャーシューの宇宙がどうのとおもうさまにのうがきをたれているのかもしれない。芸術作品の評論家にでもなっていたら、いよいよもって風呂敷はひろげ放題となる。なにしろいっているほうもわけがわからないような奇怪な内容の文章であればあるほどよむほうはありがたがる傾向にある芸術の世界であるのだから、さかながおよぎまわるように自由に、収斂だとか屹立だとかとすきかってにやっていることであろう。作品において作者が意図したことなどしったことではない。たいせつなのは、評論家がどううけとめるかなのだ。作者自身がなんにもかんがえず気のおもむくままつくった芸術品にたいしてさえ、あれこれと意味ありげなごたくをならべるのが評論というものであるのか。そうだとするのなら、評論家、たしかによくもまあそれだけごたくをならべられるものよ、商売だとはいえ感心するよ、でも、とりあえずおれは、これからは、話半分できいとくことにするよ。と、いうようなことを、このときわたしはかんがえた。いきなり話半分にされては評論家の諸君もたまったものではないかもしれない。その気もちはわかる。もちろん君達のいいたいこともわかる。だが、人生とは、そのようなものではない。
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