[2002年07月14日] すってんてん音頭

 ことのおこりは1941年のことである。そのころ世界に秩序なく天地の区別なく混沌としているところに神があらわれてこういった。「ドラムリールあれ。」するとドラムリールがあらわれた。神は満足した。ふつか目に神はこういった。「スロットルレバーあれ。」するとスロットルレバーがあらわれた。神は満足した。みっか目に神はこういった。「7あれ。」すると7があらわれた。神は満足した。よっか目に神はこういった。「BARあれ。」するとBARがあらわれた。神は満足した。いつか目に神はこういった。「ベットボタンあれ。」するとベットボタンがあらわれた。神は満足した。むいか目に神はこういった。コインあれ。するとコインがあらわれた。神はいたく満足した。なのか目に神は仕事を休み、完成したスロットマシンで遊びはじめた。コインを投入し、ベットボタンを叩き、ドラムリールを回した。そして神はそのまま二度と仕事をすることはなかった。仕事をわすれ、いつまでも、いつまでも、スロットマシンで遊びつづけたという、これが天地のはじまりの物語である。そして2002年、その遊びかたをおぼえた数千万本の指が世界中でスロットマシンをあそびつづけている。

 さよう、わたしは現在すってんてんである。

 なんとなればスロットマシンをまえにしてひとは、たんなるコイン投入マシーンとならざるをえないからである。よのなかに存在しているあまたのもののなかで意味のあるものはスロットマシンとコインだけであり、ひとはそのふたつをむすぶ通路でしかない。コインをにぎりしめてスロットマシンに対峙したとき、ひとははじめてじぶんの生の意味をさとる。すなわち、じぶんのじんせいの目的は、スロットマシンにコインをかえすことだったのだとさとることになる。コインはすべてもとからスロットマシンのものである。それはもう、理屈ではなく、そういうことになっている。世界中の現金はすべてコインとなってスロットマシンのもとへかえってゆく。そういうことになっている。わたしが現金を所有していたようにみえたことがあったが、それはまぼろしにすぎない。一時的にわたしはそれをあずかっただけのことで、わたしはもとからすってんてんだったのだ。だからわたしは、現在のわたしの状態をなんら恥じることはない。さよう、わたしはもとからすってんてんであり、このさきもすってんてんなのだ。は〜すってんてん。すってんてん。さあみなさんごいっしょに。は〜すってんてん。すってんてん。ラスベのまちにゃよゥ〜。スロットマシンがあってよゥ〜。コインをいれてちゃんちゃりん。ボタンをおしてぐ〜るぐる〜。は〜すってんてん。すってんてん。イヌもスズメもすってんてん。は〜すってんてん。すってんてん。

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