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→私がこうして筆をとったのは、人間の★についてのべるためである。私はいま、この文章をかいている部屋の隣の部屋の、すなわちエアコンのはんぶんしかきかない部屋のかたすみにおいて、人間の★についてかんがえをめぐらせていた。なぜそんなことについてかんがえたのか? ほかにかんがえるべきことがなかったからである。
→私がさいきん愛読しているサイトに、さる新聞社の三面記事ばかりをおさめたページがある。そこでは人間はまいにちじつにさまざまなことをしでかしてくれる。たとえば? たとえば、教え子の女子学生を食事にさそってそのかえりみちにキスをしたり、教え子の女子学生を密室によびだしてスカートをめくりあげて下着のなかに手をさしこんでみたり、そういったことである。これだけいろいろなことをしでかしてくれる人間がいるのだから、なかにはひとりくらい、★について真剣に取り組んでいる人間がいてもゆるされるにちがいない。そうかんがえて私は★について真剣に取り組んでみた。じっさいに真剣に取り組めたかどうかはともかく、すくなくとも真剣に取り組もうと試みた。
→いいわすれていたが、★とはなんのことでもかまわない。これをどううけとめようともそれはよむひとの自由である。不幸でもいいし、性欲でもいいし、甲状腺疾患でもいい。ディセンシーでもいいし、集団破壊衝動でもいいし、モロー反射でもいい。ゴルゴンゾーラでもいいし、ばかばかしさでもいい。すべてはよむひとの自由である。私も★について、あるものを想定している。そうして話をすすめているが、よむひとがなにをあてはめてもよめるようにこころがけてかいているつもりでもある。★になにをあてはめようとも、それはよむひとの自由である。
→すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
→日本国憲法にはそうかかれている。
→中学生のころの国語の試験をおもいだした。問題文には、ちょうどこの文章の★のように、いくつかの空白があって、そこにあてはめることばはつぎのうちどれが適切ですか、と設問がなされているのだ。もちろんそのあとには、それらしいことばが候補としていくつかあげられている。私は解答をかきあげて退屈すると、試験の残り時間のあいだじゅう、その空白におもいつくままの単語をあてはめてあそんだ。おどろいたことに、どんな単語をあてはめても、それはそれなりに意味のとおった文章になるのだった。意味がとおってしまういじょう、なんの言葉をあてはめようともそれはひとそれぞれ自由であり、採点のしようなどないのではないか、と私はおもった。
→なぜならそもそも人間は自由であり、その自由性はだれにもおかされないからである。
→憲法でその自由を保障しておきながら、その教育機関ではそういった不思議な試験問題をつくる。この矛盾についていまだに私はなっとくがいかない。だから私が政府に敬意をかいているのは、いまにはじまったことではない。
→ところでもうひとつ、私が退屈な国語の授業中にお気に入りだったあそびに、句点がでてくるたびに「というのは冗談である。」とつけくわえてよむというのがある。たとえば太宰治著『走れメロス』を例にあげると、それはこんなふうになる。
メロスは激怒した。というのは冗談である。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。というのも冗談である。ブラー、ブラー、ブラー。
→あるいは夏目漱石著『草枕』はこうなる。
智に働けば角が立つ。というのは冗談である。情に棹させば流される。というのは冗談である。意地を通せば窮屈だ。というのは冗談である。とかくに人の世は住みにくい。というのは冗談である。ブラー、ブラー、ブラー。
→日本国憲法第十三条はこうなる。
すべて国民は、個人として尊重される。というのは冗談である。ブラー、ブラー、ブラー。
→そのたいろいろ。
→さて、きょうの夜、私は★についてかんがえていた。二〇〇二年七月二十四日午後八時頃のことである。ほかにかんがえるべきことがなかったからである。なにについてかんがえようとも自由だからでもある。そうしてひととおりかんがえがまとまったところで、私は満を持してキーボードにむかった。一気呵成にその内容をつづった。つづりだしたのはかんがえはじめてからおよそ三十分後のことであり、つづりおえたのはそれからおよそ四十五分後のことである。だが、私はその文章をおよそ一時間後によみなおして、うんざりしてしまった。そうしてえた結論は、私は人間の★についてなにかをかたれるような人間ではない、ということである。
→さて、ここで問題である。いま何時でしょう。
→というのは冗談である。
→その文章はおよそ千三百字ほどあって、「よのなかには★についてを熱心に語りたがるにんげんがいて」ではじまり、「おれはそいつをだれにもふまれないようににげまわるあの影ふみをしてあそぶこどもみたいだな、とおもった。」でおわる。
→そうして私はできあがったこの文章をよみかえして、非常に残念なことではあるが、今夜の私の★に対する真剣な取り組みは失敗におわったことをここにうちあけざるをえない。
→それともうひとつ、この調子で文章をつづるのにだんだんと飽きてきていることもおつたえせざるをえない。これもまた、非常に残念なことである。そして私は、非常に残念がりつつも、このへんでこの話をおえることとする。どこで話をきりあげようとも、それもまた日本国憲法でうたわれているとおり、私の自由だからだ。話をおえる。気がかりなのは、★にかんして、なにか卓抜した意見がきけるのかもしれないとここまで私の話につきあってくれたひとたちである。かれはいままさに★についてなやまされているまっさいちゅうで、この問題を解決するヒントでもえられるかもしれないと切望してここまでよんでくれたのかもしれない。かれのために、これからも私は、ほかにかんがえるべきことがなくなったときにはかならず★についてかんがえつづけると約束しよう。それから、いつの日かかならず、この問題を解決するヒントどころか、そのものずばりの、解答そのものをここに提示することもあわせて約束する。
→期待して待て。
→ただ、ここでもうひとつ、非常に残念なことをつたえねばならない。それは、約束はつねにまもられるとはかぎらない、ということである。そう、約束はしばしば、やぶられるものである。私もまた、しばしば約束をやぶる。そして、これにかんして良心がいたんだことはいちどもない。
→なぜなら、約束をやぶるのもまた自由であると日本国憲法にうたわれているからである。
→というのは冗談である。
→ハイホー。
→ではねる。
→おまえもねろ。
→おやすみなさい。
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