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おどろいたことにきょうは目をさますと一時をすぎていた。午後一時である。これにはびっくりした。その時間に目をさますのはとくにおどろくべきことではないというひとはたくさんいる。それはおれもそうだったのでよくわかっている。けれどもおれはいま、ありきたりのサラリーマンをしているので、こういうのはびっくりすることなのだ。めったにないことなのだ。すくなくとも結婚してからこっち、はじめてだとおもう。よくもまあねたものだよ。ぐうぐう。のろのろとおきだしてこの失われた日曜日のあさをどうとりもどそうかと思案していると(うそです。たんにねすぎでボ〜っとしてただけ)妻もごろごろとおきだしてきて、それから食事のしたくをはじめる。彼女のつくってくれたのは、あんのじょう、トマトと茄子のスパゲッティーだった。我が家はいま、「トマトと茄子」問題をかかえている。しばらくまえに、おれの母親が、親戚からもらってきたという大量のトマトと茄子をもってきてくれた。その日おれが仕事をおえていえにかえると、「ねえ、トマトと茄子についてかんがえて」といきなり妻にいわれて、なにかのあそびなのかとおもってとりあえずトマトと茄子をあたまにおもいえがいてみたのだが、そうではなくて、トマトと茄子をどう消費するかかんがえてくれ、という意味なのだった。そんなわけでここのところ、えんえんとトマトと茄子をたべつづけている。トマトと茄子のグラタン。トマトと茄子のカレー。中華風茄子の炒め物とトマトのサラダ。そしてきょうはトマトと茄子のスパゲッティー。余談だがこの「トマトと茄子」問題の発生するいぜんは、たしか、「きゅうりと玉葱」問題というのがあった。そのまえにもたしか、「大根とじゃがいも」問題というのがあったとおもう。とにかくつねになにか問題をかかえている我が家の食生活である。トマトと茄子のスパゲッティー、というよりもむしろ「トマトと茄子のためのスパゲッティー」とでもいうべきひるごはんをたべおえて、クルマにのって、妻がみたがっていた蓮根畑をみにいく。クルマで三十分ほどいったところにそれはある。蓮根というやつの性質上、それは畑というよりもタンボというかんじなのだが、あたりいちめん蓮根がうえられていて、360度みわたすかぎり蓮根で、蓮の花がさく季節を妻はこころまちにしていたのだった。おれは地元のにんげんで、どちらかというと情緒にかけたところがあるのかもしれなくて、なんでそんなのをみたがるのかはよくわからない。まあつれてってくれというのだからつれていった。すこし時期がはやかったらしくて、さいている蓮の花はあまりない。つぼみがおおい。しかし妻はおおよろこびで、しばらくあたりを散歩した。蓮根をものすごく抜きたそうだった。このあたりには『ハスだっぺ』という蓮根サブレーふうのお菓子があって、これをみやげものやで発見したときも妻はおおよろこびで、広島のおねえさんにおくりつけていた。「ハスだっぺー。わははは。ハスだっぺー。わははは」ときょうも蓮根畑をみながら妻はわらった。いくぶんハイになっていたようである。「イバラギをバカにしてる?」とたずねると、「そんなことはない」とこたえたあとで、「ハスだっぺー。わははは」とまたわらった。ぜったいにバカにしている、とおれはおもった。かえりに肉屋にたちよってラムチョップをかう。アパートにかえると五時ごろで、さらにびっくりしたことには、おれはまたねむくなってしまった。しらぬまにねむっていたらしい。気がつくと、七時をすぎていて、とおくから祭りばやしがきこえた。それをききながら、妻のつくってくれた晩ごはんをたべる。お好み焼きである。キムチがはいっている。そういえば「トマトと茄子」問題のほかに「李くんちのキムチ」問題というのもうちにはあった。これもまた母親が李くんちから大量にもらってきたキムチである。このくにの総理大臣なみに問題がやまづみになっている我が家の食生活である。お好み焼きをたべおえて、お祭り見物にいくことにする。河童祭りである。駅からわれわれのアパートまで、あるいて二十分ほどあるのだが、その通りをすべて歩行者天国にして、河童音頭というのをおどっている。みんな工夫をこらしたいでたちをしている。その両脇にはずらりと夜店がならんでいて、なかなか盛大なお祭りだ。きのうの晩からやっていて、きのうもすこし見物にでかけた。「きょうも浴衣きる?」ときくと、「きょうはええやろ。もう気がすんだ」と妻はこたえた。浴衣というのは気ぶんの問題ならしい。おれの浴衣は、四国の、妻のおかあさんが縫ったものだ。それはおとうさんのために、二十年もまえに縫ったもので、「二十年間、いちどもきてないから、あんたのダンナさんにきせて」と送ってくれた。「いちどもきてない」というところが怒ってるみたいでこわい。浴衣は、なんの問題もなかった。二十年もすぎて、いまだに完璧な浴衣だった。ちょっと感心した。しかしきょうは妻のほうが「もう気がすんだ」そうなので、Tシャツででかけることにする。たいへんな人手で、とてもまともにはあるけない。このまちにもこんなにひとがおるんやなあ、と妻はおどろいたらしい。おれもすこしおどろいた。しばらくいったところにフリーマーケットがあって、演歌歌手がうたっているステージと、アマチュアのバンドが演奏をしているステージと、ふたつのステージがある。アマチュアのバンドのほうをすこし見物する。高校生くらいの男の子たちで、なにをやっているのかとみると、ディープパープルのバーンをやっていた。そのあとはメタリカをやった。かなりめまいがした。そうこうするうちに河童音頭の時間帯はおわり、山車がでた。山車にはおはやしをするひとや、ひょっとこのいでたちをしたひとにまじって、白犬のおめんをつけたひとがいて、妻はそれに興味津々である。どうも妻はそういうきぐるみというか、そういうのが大好きならしい。きのうも河童のきぐるみをきたひとにたのんで、いっしょに記念撮影をした。ラスベガスにいったときも、妻が写真をとりたがるのは、ちょっとふしぎなエジプト風の犬のまえだとか、巨大ヘビの彫刻にまたがってだとか、そんなのばかりだった。どうも、時間というのをあまりかけなくてしてしまった結婚なので、結婚してみてからしるこのみというのがあって、そういうのはなかなか興味深い。ついでにいうと、ビデオは巨大生物モノというのがすきみたいです。ビデオ屋にいって、おれが棚にならんだ新作アクションだとかをながめていると、いつのまにか妻はすいよせられるように巨大イカパニックだとか巨大タコパニックだとか巨大ワニパニックだとか巨大昆虫パニックだとかそんなのを手にとってじいっとみている。いつもかならずそうで、ほんっとうにあのひとはそういうのがすきみたいです。祭り見物のかえりみちに妻はあんず飴をかってたべる。まずいらしい。おれにもくわせたかったらしいが、おれはつよく固辞した。おれは間食というのをめったにしないにんげんである。こういうのは妻からみたらへんにみえるらしい。おたがいにおたがいのへんなところをしりあって、おたがいさまである。アパートにもどって、ひとまずおれはフロにはいる。一時間もかけて、たんねんに入浴をして、あがると、おどろいたことに妻はふとんをしいて熟睡していた。ひとりとりのこされたおれは、しかたなくパソコンをひらく。妻の日記をよむ。おれのパソコンでなぜか妻は日記をつけているのだ。きょうのぶんをよむと、さらにおどろいたことに、妻はおれがゆうがたねむっているあいだに、ひとりでホットケーキをやいてたべたのだという。さすがにこれにはあきれた。その直後に、そんなそぶりなどつゆみせずにしゃあしゃあとお好み焼きをたいらげて、さらにそのあとあんず飴までたべたのだ。あきれた。あきれながらおれはコーヒーをいれるためにお湯をわかす。喫茶店でアルバイトをしていたことがあって、そのときの経験でよかったのは、自信をもってコーヒーをいれられるようになったところだ、とおもう。コーヒーはだれにでもいれられる。けれども、自信をもってコーヒーはなかなかいれられない。お湯がわくのをまつ。そのあいだ、てなぐさみに、きょうのできごとをかきはじめる。そうしていま、コーヒーものみおえて、日記もかきおえて、アップロードをして、おれもねむることにする。おやすみなさい。ラリホー。
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