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こんなふうにネットで日記をつづけていると、ネタ帖というものの必要性をかんじることがある。日常のなかで、ふとおもいついたこと。日記にしるしておくねうちがあるんじゃないかとおもえること。そういうのをつけて記しておくネタ帖だ。おれだって、ねんがらねんじゅうパソコンのまえにいるわけじゃない。おもいついたことをつねに、その場でひとつの文章にするなんて不可能だ。だから、あとで時間のあるときにまとめようと、ネタ帖にはキーワードなりなんなりを記してておく。そういうネタ帖。おれ自身はそういうものはこれまでつくったことはない。そのかわり、ちかごろは携帯電話をメモ帖がわりにすることがある。それと、会社のパソコンをつかうこともある。ふとおもいついたことを、自分のプライベートのアドレスにメールで送っておく。メモがわり。あとでいえにかえって、よんで、なにかのヒントにでもなるかもしれない。溺れるものがつかむワラていどのメモ。
しばらくまえ、会社のおひるやすみ、おれは自分の席で食パン二枚と水のランチをすませて、ネットをしていた。たまたまちょっとわらってしまったことがあったので、その印象を自分宛にメールしておいた。その内容は、ほんとうにわれながらくだらないもので、ここにかくのが恥ずかしいのだが、これをかかないと話がすすまないのでかいておく。このときおれが自分宛てに送ったのは、こんな1行だった。
中の人
これは、たまたま妊婦さんの日記のページをみていたら、お腹のなかの子を「中の人」と呼んでいて、たしかにそれはそのとおりなのだが、ちょっとなんだかわらってしまったので、それで送ってみた。だからどうしたわけじゃない。たんに、おれは今日、こんなものをみてわらいましたよ、というメモだ。しかも他人がみたらさっぱり意味がわからない。じぶんだけにつたわるメモ。でもネタ帖なんていうのは、基本的にこういうものだとおもう。たいせつなものは、メモなんてとる必要がない。おぼえているからだ。おぼえていられないものは、メモにして、キーワードだけを残しておく。そしてすっかり忘れてしまう。しかし、このメールのことは、なぜかおぼえていた。だからその夜、自宅にもどり、パソコンをたちあげてメールチェックをしたとき、このメールがはいっていないことに気づいて、おかしいなとおもった。ちょっとだけ悪い予感がした。よくあさ、会社のパソコンをたちあげて、メールの送信リストを確認した。そして愕然とした。たしかにおれは、このメールを送っている。だが、その送付先がいけない。おれは、会社の取引相手のところにこのメールを送っていた。よその会社のぜんぜんともだちでもなんでもないひとに送ってしまっていたのであった。ちかごろのパソコンソフトというのは、自動入力機能というのかなんというのかよくしらんが、最初の1文字をいれただけでそのあとの文字列がずらっとでてくることがある。まえに入力した内容を記憶していて、それをひっぱりだしてきてくれるのだ。便利といえば便利だが、こういう事故が起こる可能性をかんがえると、諸刃のツルギである。しかも被害は甚大である。社外秘を送ってしまったとかいうわけではないので、会社的に被害はないが、個人的にはたいへんな被害である。じっさいおれはこのあと目の前が真っ暗になった。送った相手のことは、いちおうしってはいた。かりにここでは中村さんということにしとく。中村さんとは、電話で二、三度話をしたことがある。あったことはない。電話だけ。ちょっと冷たい感じの声の女のひとである。仕事の話をしていたのだから、あたりまえといえばあたりまえだが。もちろん世間話なんてしない。あいさつだって、いつもお互いに儀礼的なものをかわすだけ。非情緒的。つけいるスキのないかんじのひとだった。よりによってそんなひとに、こんなメールを送ってしまうとは。どうしよう。嫌がらせ。変態。ストーカー。そういったマイナスイメージの単語がうかんできた。告発。抗議。謝罪。解雇。そういう暴力的イメージの単語もうかんできた。無職。無収入。借金。夜逃げ。逃避行。富士山。樹海。しまいにはそんな、破滅的みなさんさようなら的イメージの単語さえでてくるしまつだ。どどど、どうしよう。どうしたらいいんだ? ここはひとまず中村さんに、あやまりのメールをいれるべきだろうか。でも、どうやって? なんてかく? 間違えましたっていうのか? だけど、なにをどう間違えたというのだ? どう説明するっていうんだ。中の人。変だろう。明らかに。あやしいだろう。完全に。だって、中の人だよ? そんなメール、だれに送るっつうんだよ。しかも会社から。ふだんなにをかんがえてるんだよ。なにやってるんだよ。そうおもうよなあ。ふつう。おもわれてるよなあ。まちがいなく。うがが。どうすんだよ。どうすんだよこれ。うががががが。というかんじで、ふだんから手についていない仕事はいよいよもって完璧に手につかない。けっきょく小心者のおれは謝罪のメールもだせず、モニターのまえであたまをかかえたまま午前中をすごし、ひるになってまた食パン二枚と水の昼食をぼそぼそと陰気にとっていたところに、中村さんからメールがきたのであった。中の人の返信である。ききき、きたか。抗議のメールが。そのときおれは目の前に樹海への一本道がみえたような気がした。暗澹たるこころもちでマウスをうごかし、開いてみると、ところがそこにあったのはこの1文字であった。
?
ほかになにもない。ただ1文字、「?」である。「?」。クエスチョンマーク。疑問符。ときには、はてなとよばれる。なにかをたずねたり、ふしぎにおもったりしたときにつかう記号。ありふれた、よのなかにみちあふれた記号。あまりにありふれていて、ふだん気にとめたことのなかった記号。じっさいこれまでのおれの生涯においてこの記号が、これほど大きな意味をもったことはかつてなかった。中村さんは、「?」と。つまり、「なんですかこれは?」と。さらにいうなら、わたしゃ怒ってませんよと。ただちょっととまどいましたよ、と。できたらなんのことか教えてチョーダイ、と。とにもかくにもおれはすこし安心した。とりあえず相手が怒ってないことがわかったからである。ぜったいに怒っていないのだろうかといわれると、すこし心配だが、でも、あんまり怒っていないんじゃないかとおもわれる。すくなくとも、怒りにまかせて抗議とか、コトをオオヤケにとか、ただちにそういうことはなさそうだ。それどころか、「?」はちょっと、フレンドリーでさえある気がする。これなら懐柔の余地がある。ごまかす余地がある。ような気がする。だが、とおれはかんがえた。ここであせってはいけない。よくかんがえろ。どうすればいちばんいいのか。むかしから、女をだますのだけはとくいだったじゃないか。落ち着いて、よくかんがえるんだ。じぶんにそういいきかせて、それから自分史上最大の集中力を発揮して送った返信はつぎの1行である。
すいません。間違えました。ごめん。
余計なことはいっさいいわず、慇懃すぎず、かといって慣れなれしすぎず、無表情に、だがありったけの気もちをこめて、いいたいことをしっかりと伝えた一文である。中村さんがどんなひとか、よくはしらない。でもきっとこれでどうにかなるはずだ。これ以上、なにかいわれることはないだろう。これで、話はおわるはずだ。そう祈りつつおれは送信ボタンを押した。やれやれ。ひとまず一段落。のはずだった。中村さんからつぎの返信がきたのは、翌日のやっぱり昼休みのことである。新着メールがとどいて、それが彼女からのものだとわかったとき、またおれはぎくりとした。おそるおそるひらいてみると、そこにはこうかかれていた。
中の人はいなかった?
おれはすこしおどろいた。こんな返事がくるとは、おもっていなかったからだ。それから、すこしずつおかしくなってきた。そのときおれの瞳のなかにはきっと、とうに失っていたかがやきがすこしだけよみがえっていただろう。彼女からのメールには、親しみというものがあった。彼女は怒ってなんかいない。それどころか、なぜかはわからないが、好意的でさえあるようにみえる。たぶん中村さんは、「中の人」に好意的なひとなのだろう。きっとそうなのだ。じんせいには、流れが変わるのを実感するときがある。たとえば無死満塁のピンチをきりぬけた次の回、先頭打者が初球ヒットで出塁。あるいは、だれかが大三元を聴牌しているのをクイタンのみで流して、つぎの局のツモがさくさくとはいりだす。流れが変わった、と実感するときだ。そんなときはなにをやってもうまくいくような気がする。しかもじっさい、うまくいくから、運とかツキとかいうものについて、にんげんは語るのをやめることができない。そしておれはまさにこのとき、流れが変わったのを感じていた。この日おれははじめて中村さんに、すこしながめのメールをかいて送った。
うん。いませんでした。
ところで…云々
翌日のひるやすみに、中村さんから、やっぱりすこしながめのメールがとどいた。おれの送ったやつとちょうどいいバランスがとれるくらいのながさの、楽しいメールだった。それからどうなったかというと、じつはいまだにメールのやりとりをつづけている。食パンを水でながしこみながらおれはそれをよむ。これがメル友というやつか。たあいのない世間話をして、ちょっと相談ごとをもちかけられて、ときにはぐちをこぼしあって、そういうやりとり。でもまさか、こんなふうにはじまるメル友がいるなんて、中の人だっておもっていなかっただろう。
余談:ところでその妊婦さんはぶじに出産をおえて、再開された日記によると、母子ともども元気でいるみたいです。おめでとう。
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