[2004年09月21日] 風に吹かれて

洋式の便器にはじめてでくわしたとき、ただしくそれをつかいこなせたひとはどれくらいいるものなんだろう。そうだ歴史の話だ。いまではもう洋式便器はありふれていて、まちがえるひとなんていない。現在のこどもたちは、うまれたときから世の中のいたるところにあれが存在していて、だからものごころがつくころにはもう勝手がわかっている。だが、いまから四十年くらいいぜんにうまれたこどもにとっては、そうではなかった。身のまわりにある便所はすべて和式で、そのかげで、つまりおれのしらないところで洋式便所はひそかに増殖をつづけていて、そしてとつぜん、なんのまえぶれもなくやってくる悪い知らせみたいに洋式便器はおれのまえにあらわれた。そしておれはながいこと、洋式便所においてあやまった方向をむいて大便をたれていた。どれくらいあやまっていたかというと、具体的方角的にいって、180度あやまっていた。180度あやまった方角をむいて大便をたれていた。といってももちろん、逆立ちをして大便をしていたわけではない。あたりまえだ。そんなのは人間の本能として、まちがっているのはわかる。そうではなくて、まえをむいて用をたしていたのだ。それはなかなか微妙で困難な姿勢だったが、小学四年生の夏になるまでそうだった。なんでそうこまかい話になるかというと、四年生のときクラちゃんというともだちの家であそんでて、かれの家の便所は洋式だったのだが、それをかりて大便をたれてるところをクラちゃんにのぞかれてしまった。クラちゃんは、おれのやりかたがおかしいと指摘してわらった。それではじめて、洋式便所で大便をするさいのしきたりをおれはしった。ありがとうクラちゃん。きみはおれの恩人だ。もしかしたらおれのじんせいにおいて、きみほどの恩人はほかにいないかもしれない。だって、きみが教えてくれなかったら、いまだにおれはまちがった方角をむいて大便をしていたのかもしれないのだから。クラちゃんにわらわれて、それではじめておれは正しい洋式便座の腰掛け方向をしった。おぼえたてのころは、野糞をしてるときみたいなたよりなさ、おちつかなさを感じたものだが、いまではもうすっかり慣れた。百戦錬磨といっていい。だが、脱糞姿勢はそれでいいとして、じつをいえばそのあとにまだ疑問が残っている。トイレットペーパーはまえからあてるのか、うしろからあてるのか、それがいまだにわかっていない。かといってひとにきくこともできず、いまだになやんでいる。あれはどちらからあてるのがただしいのか。そのさい合理的な理由というのはあるのか。おれにはわからない。わからないまま、そのときの気ぶんで、まえからあてたりうしろからあてたりしている。こんなどっちつかずの、いきあたりばったりなことではいかんとおもいながら。それでもおれには決めかねて、トイレットペーパーをあてたあとはいつもすこし自己嫌悪になる。悩み多きじんせいとはおれのじんせいみたいのをいうのだろう。いったいおれのじんせいの、すべての悩みが解決するのはいつなのだろう。どれほどの大便が通過すれば、おれの肛門期はおわるのだろう。友よ、そのこたえは風に吹かれている。

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