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●高校に入学して2ヶ月ばかりしたころに、けんかをすることになってしまった。古風な表現をすると、果し合いというやつである。これの助っ人をたのまれた。おおいに迷惑である。果し合いをおもいついたのは門脇というやつで、相手は大沢というやつである。なぜかといえば大沢のパンチパーマだとかボンタンだとか目ツキだとかが気にいらんということであるらしかった。それでどちらが強いのか、シロクロをつけようではないかということであるらしかった。痛そうなのとか危なさそうなのとかの大嫌いなおれにはまったくわけがわからんことではあるものの、基本的にこういうバカどもがおれのしらないところで淘汰しあってくれてるのはのぞむところだった。おおいにやりたまえ、だった。ところが、バトルの予定日が目前にちかづいたある日、門脇がバイクの事故で片足を骨折した。片方の足を石膏で固めて両手で松葉杖をついて学校にあらわれて、果し合いはどうなるのかとおもっていたところ、門脇はさらにわけのわからないことをいいだした。門脇と大沢でひとりずつ助っ人をつれてきて果し合いを予定通りとりおこなうというのである。しかも大沢は助っ人をおれにたのむというのである。もう、ぜんぜん意味がわからない。だいたい1対1でやるはずがなんで骨折をすると2対2になるのか。それはふつう延期するものではないのか。骨折しているのに戦うのはなぜなのか。2対2になればなにか骨折の状況がかわるとでもいうのか。骨がくっつくとでもおもっているのか。おまえらアタマのなかは大丈夫なのか。まったくこの手のバカどものかんがえつくことは意味不明である。ので、当然のごとく助っ人の儀は固辞した。しかし大沢はどうにもたのむという。ほかにたのめるやつがいないのだという。じつをいえばそのころ大沢はおれとコンビで、ふだんつねに一緒にいるやつだったのだが、大沢が門脇に目をつけられた瞬間におれは大沢とはともだちでいるのはやめようと決心をしていた。薄情なようだが大沢もおれとおなじ立場であったらまったくおなじことをしたはずなので、これについて良心の呵責といったものはまるでない。だいたい大沢も日頃からおれと一緒にいるのだから、こういう話になればおれはまったく役立たずの戦力外通知であることくらい承知しているはずである。なんでおれなのか。ほかにいないのか。そんなにもきみには人脈がないのかと情けなくなった。しかし、そのころ大沢は別名を「上を下への大沢」といって、こいつと関わりあいになるとロクなことがないというのはすでにひろく知れ渡っていたので、いまさら大沢に加担しようというやつが現れないのはとうぜんのことであったかもしれない。ならばいっそ、門脇に謝っちゃえばどうだ、とおれは大沢にもちかけてみた。はじめからタイマンとかそういうのは回避したらどうだ。おれならぜったいにそうするが、と説得した。しかし大沢は、それだけはどうしてもできないという。男の意地とか、そういうものであるのだろう。ご苦労なことである。大沢がほとんど涙目でおれに助っ人をたのんでくるので、さすがにおれも根負けをした。ここで恩をうっておいてもバチはあたるまいとおれは引き受けることにした。とはいえもちろんおれは殴り合いのけんかなんてまったくするつもりはない。おれの相手、つまり門脇の助っ人はだれなのかとしらべると、Йというやつだという。このときはじめてЙというやつの存在をしったおれは、さっそくこのЙのところにネゴシエーションにでむいた。こんなわけのわからん暴力沙汰にまきこまれて、おれ、まったくやる気ないんだけどおまえはどうなの? やるの? という感じで話をしにいったところ、Йはべつにどっちでもいいという。じゃあやめようよ、おれ、やる気ないからさ、門脇と大沢にやってもらって、おれたちはうしろで見物していようよ、というかんじでお見合いのときの仲人さんみたいな裏協定をむすんでЙとの交渉は成立した。Йさえその気がなければ問題はない。門脇はやる気まんまんのようだが、こいつは骨折している。いざとなったら走って逃げればいい。いくらなんだって骨折してるやつに追いつかれることはないだろう。万全の体制をととのえたところでおれは大沢と決戦の場におもむいた。門脇は小学生時代に柔道の全国大会で優勝したそうで、「柔道少年日本一」という凶暴な肩書きのもちぬしで、筋肉質で、体格もおそろしくよく、運動能力もずばぬけている。ふつうにやれば大沢には勝ち目は1パーセントもない。しかし、片足骨折である。ラシュワンは山下泰裕の痛めた足を攻撃せずに美談のひととなったが、これはけんかである。なんでもありである。大沢が恥も外聞もなく門脇の足をせめれば、番狂わせもありうる。いったいどういうことになるのか。なにが起こるのか。なにかが起こってくれるのか。興味はおおいにある。暴力沙汰は、じぶんでやるのはまっぴらだが、見物はだいすきだ。しかもこの場合は、助っ人という名目でいちばんまえで見物ができるというのだからたまらない。おれはわくわくしてその場へむかった。金曜日の放課後、第2グラウンドとよばれていたところで、放課後になればだれもいなくなる。ここに野次馬見物人をふくめて三十人ばかりの男どもが集まった。門脇と大沢が中央にでてきて、学らんをぬいだ。ついでにふたりともワイシャツまでぬいで、上半身はランニングシャツ一枚になった。門脇は松葉杖をちかくにいたやつにわたし、片足でたった。勝負は数秒で終わった。無防備にちかづいた大沢を門脇が投げ飛ばし、そのまま寝技の体勢になった。袈裟固めだか横四方固めだかしらないが、がっちりと門脇は大沢をおさえこみ、片腕のひじで大沢の首のつけ根のあたりを圧迫している。門脇の太い腕に血管がうかび、大沢の顔色はみるみるしろくなっていく。「まだやんのかよ?」と門脇がいうと、大沢の全身が弛緩した。戦意喪失したらしい。もしかしたらここで助っ人の出番だったのかもしれない。助っ人はここで大沢のピンチをすくうべく、門脇の背中あたりにキックをおみまいするところだったのかもしれない。しかし助っ人にはそんなつもりはまるでなかった。助っ人ってだれだ? あ、おれか。だが、おれにはそんなつもりはまったくなかった。片足でだれかを投げ飛ばしてしまうような化け物にはむかうつもりはまったくない。むしろこの場面では、あまりのふがいなさに大沢のあたまをけとばしたいくらいだった。簡単に門脇と大沢の勝負がついてしまったので、もうだれも助っ人のことなどいいださなかった。どうでもよくなってしまったのだとおもう。おれもどうでもよくなってしまった。門脇のばかげた強さと、大沢の弱さをくちぐちに語りつつ、パーティーは終了し、烏合の衆は解散となったという、この話はこれでおわりである。
●余談1 門脇戦記はこの後もえんえんとつづく。十代後半の男の子というのはどうもむやみやたらと元気というかやる気というか衝動というかそういうものがもてあますくらいにあって、なにかをしでかさずにはおられない気ぶんで毎日すごしていて、それが暴力的な方角にむいてしまうやつというのは大量にいたわけだが、門脇もまたそういうやつのひとりであった。つまり、もてあましたエネルギーのありったけを少年マガジンのヤンキー漫画的な方向にむけてつっぱしってしまって、気合いだの根性だの度胸だのといいだすタイプだ。門脇がとくべつだったのは、たまたま超人的な肉体をもっていたことだった。体育の授業でラグビーをやったときに、六人くらいの相手のチームのやつをひきずりながら前進しているところをみたことがある。怪獣みたいなやつである。そういう身体能力があって、しかもどうもこいつは高校に入学してくるさいに「シメル」とか「制圧」とか「ボス」とかそういう邪悪な目標をいだいてきたらしい。まったくもってじつにはた迷惑である。そんなわけで門脇はその後えんえんと戦いの歴史をきざんでいくわけだが、「それはまたべつの話」というやつである。だいたいかんがえてみたらおれはそんな、男の子のけんかとか抗争だとかはあんまり書きたくないのだった。そういえば。興味もないし。門脇とは、高校を卒業してから十年くらいしてから、いちどあった。たまたま町中ででくわした。そのとき門脇は、サングラスをしていたが、そのかおには無数のキズの縫い目があった。あんなかおのやつはみたことがない。かおじゅうすべてが縫い目のツギハギだった。よお、ひさしぶりだなあ、とあいさつをしたあとでおれはおもわず、「おまえ、そのかお、どうしたんだ?」ときいてしまった。とたんに門脇はうろたえたので、おれはしまったとおもった。おとなとして、デリカシイというものに欠ける質問だったといまは後悔している。
●余談2 Йに関して。そもそもおれは、Йについて、あまりにみくびっていた。身長がそれほどたかくないやつだったからだ。おれより10センチくらいはひくかった。それであまくみていた。だが、もしかしたら、こいつは本気になったら門脇よりも強かったかもしれない。こんなやつとへたをしたらけんかをしていたかもしれないのだ、と気がついてあとでおれはすこしこわくなった。高校を終えてすこししてから、ともだちが「Йがテレビにでてるんだよ」といっておれにテレビをみせた。Йはバスケットボールチームの選手として、たけしの番組にでていた。準レギュラーみたいなかたちで、毎週バスケットをしていたようだ。そのなかで、Йは、異世界の超人のような活躍をしていた。おれはあんなに素早く動く人間というのをみたことがない。どうりであの門脇が助っ人に指名したわけだとなっとくした。けれど、おれがほんとうにおどろいたのは、そのことではない。Йの髪型である。もともとЙは禿げるタイプだとはおもっていたが、このとき、Йは21歳か22歳か、それくらいにしてすでに頭のうえ半分がつんつるに禿げていた。しかも、なにをかんがえているのか、側頭部はまだ毛が残っていたのだが、これをのばし放題にしていた。けっきょくЙは、落ち武者の髪型になっていた。落ち武者の髪型で、テレビのなかで、バスケットボールを目にもとまらぬ素早さでドリブルしながら切り込んでゆく。落ち武者の髪をふりみだして。超人的なスピードで。なにがおまえをそうさせているのだ、とおれはテレビに問いかけたくなった。なんだか、みてはいけないものをみているような気ぶんになってきた。高校のころの知り合いでそういう気ぶんにさせられたのは、あともうひとり、Jというバレー部のセッターだったやつが高校を終えたよく年に「さぶ」というホモ雑誌の巻頭グラビアを飾っているのをたまたま本屋で立ち読みしていてみつけたときと、Йの髪型と、このふたつくらいである。
●余談3 「上を下への大沢」こと大沢の首には、門脇と戦ったあとしばらく、内出血のあとが残っていた。それは門脇のばかげた強さの象徴のようにみえた。「しかし、それにしても、片足のやつにあんな簡単に負けるかね?」というのがその後大沢に対してもちいられるつっこみとなった。そしてそれは、いまでもそうである。大沢はやがて地元で飲み屋をひらいた。まだつぶれずにやっていて、年にいちどくらいはおれもそこへいって、いまだにしつこくいってやる。「しかし、それにしても片足のやつにあんなに簡単に負けるかね」大沢はそのたびに「うるせえ」と逆上する。
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