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たとえばもし19歳の女の子のブロッグをみていて、そのプロフィールの好きなアーティストに「ウィッシュボーンアッシュ」とあったらどうおもうだろう。「へえ、ちょっと変わった趣味だな」とか「そんな子もいるんだね」とか、だいたいそんなかんじだとおもう。ところが、42歳のおやじのブロッグをみていて、そのプロフィールの好きなアーティストに「ウィッシュボーンアッシュ」とあったら、そうはおもわない。「やれやれ」とか「もういい加減そこから離れろよ」とか、そういう、いじわるなみかたさえ、機嫌がわるいひとだったら、してしまうかもしれない。でも、ほんとうのところ、それはどうなのだろう。19歳の女の子でも、42歳のおやじでも、ウィッシュボーンアッシュが好きだという点ではおなじじゃないか。ウィッシュボーンアッシュに対する熱いおもいという点では、おんなじじゃないか。19歳の女の子のウィッシュボーンアッシュをうけいれて、42歳のおやじのウィッシュボーンアッシュをうけいれないというのは、それは不当な差別というものじゃないのか。だいたい、そんなことをいわれてしまったら、おやじは「好きなアーティスト欄」になにをいれたらいいのだろう。いれるものがなくなってしまう。ウィッシュボーンアッシュがだめならプロコルハルムだってきっとだめなのだろうし、かといってグレイとかビーズとかいいだしたらもっといやがられそうな気がする。かわいそうなおやじ。どうして女の子ならよくて、おやじだとだめになってしまうのだろう。ああ、隣の趙さんの家の犬がほえている。うるさくてうまくかんがえがまとまらない。まとまらないけれど、でも、すくなくとも僕は、ウィッシュボーンアッシュのすきなおやじをうけいれようとおもう。ウィッシュボーンアッシュだけじゃなく、そのほかのいろんなおやじをうけいれてやろうとおもう。たとえば、中学生の男の子が1年2組の若林アヤカちゃんがすきだとうち明けてきたとする。ちょっとエッチなことも、チャンスがあったらしてみたいんだ、と白状してきたとする。その告白に対して、僕は嫌悪感なんてちっともいだかない。むしろほほえましく感じたりする。だから、もし42歳のおやじがおなじように、1年2組の若林アヤカちゃんをすきで、ちょっとエッチなこともチャンスがあったらしてみたいんだ、と打ち明けてきたら、僕は、かれを否定してはいけないのだ。きっと。ほほえましくうけとめなくちゃいけないのだ。たぶん。だって、若林アヤカちゃんが好きだという点では、中学生の男の子でも42歳のおやじでもおなじなのだから。きっとそうなのだ。そうなのだろうか。ああ。隣の趙さんの家の犬が吠えている。うるさくて、ちっともあたまがはたらかない。なんてうるさい犬だろう。なんて迷惑な犬だろう。いや、そんな話じゃない。迷惑なのは犬ではなくて、おやじだ。いやちがう。おやじは悪くなかった。たしか、そんな話だった。どんな話だっけ。わからなくなってしまった。もう、なにもかんがえられない。ただひとつ、僕がこの文章でいいたかったのは、趙さん家の犬はうるさいということです。
子供を救え。
●芸のない方向にデザインを変えてみました。
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