[2005年05月27日] 透

 どくしょをするかとおもい西尾維新「クビキリサイクル」というのを本屋にてかいもとめひろげてみたのですが2ページほどよんだところでくじけそうになってしまいました。これはこのさきよみすすめていくとマシになるのですか。もうしわけありませんがどなたかおしえていただけませんでしょうか。それによってこのさきの自分のじんせいの進路を決断しようとおもいます。そんなだいそれた話ではないんですが。ともかくよむかよまぬをかきめます。いまのところ自分にはマシになるみこみがまったくかんぜられませんのでいったんこの本はとじて、かたわらにほうりなげてあったオヤジ雑誌「週刊実話」のフクロとじ「花井美里透け乳首問題撮」をながめています。オヤジ雑誌というのはオヤジにうまれてきたしあわせをひしひしとかみしめさせてくれるモノです。いやもちろんオヤジにうまれてきたひとなんかいないけど。ひとはオヤジにうまれない。オヤジになるのだ。あたりまえだ。とにかくオヤジじんせいにはオヤジじんせいのいいところというのもあって、たとえば新幹線の車中なんかでオヤジ雑誌をぱらぱらとめくってたりするというのはひとつのしあわせです。オヤジ雑誌って、あんなのだれがよむんだろうっておもったりもするけど、いがいとしあわせなんだよあれ。おまけに透け乳首だもんなあ。にんげんてすごいや。ってこの文脈というかながれでこういう発言をすると花井美里の乳首がすごいみたいですが、そうではなくて、「花井美里透け乳首問題撮」ってただの文字列ではないですか。「花」と「井」と「美」と「里」と「透」と「乳」と「首」と「問」と「題」と「撮」をならべただけではないですか。たんなる漢字の順列組み合わせではないですか。ひとつひとつの文字をとりあげてみればさしたることもないただの平穏な日常生活みたいなかんじであるにもかかわらず、そう、にもかかわらずです、にもかかわらず、このような順番でつなげられるとトタンに「むをっ?」とか「くはっ」とかいったこえにならないこえをのどのおくでもらし、おもわずキオスクのタナから手にとってしまうみたいなこの文字列マジック花井美里透乳首問題撮。諸君、いったいこれはどういう魔法なんだい? 私的な見解としてはやはり「透」にポイントがあるのではないかと。しかしもちろん「透」だけではだめです。雑誌の表紙に「透」だけあったって、なんでそれでみなさん「むをっ?」となるでしょうか。「花井美里」と「乳首問題撮」のあいだにはさまれた「透」。あたかも胸の谷間にはさまれたかのような「透」。ここです。この「透」がポイントです。透けたそのさきにはなにがあるのか、という想像力すなわちイマジネーションをかきたてるパワーが「透」のひと文字によってここまで発揮された事例はかつてなかったとおもわれます。さらにはこの順番といいますか、コラボレートの妙というんでしょうか、類い希なる配置術とでもいいましょうか、ここのところもわれわれはみのがしてはいかんのです。「透花井美里乳首問題撮」ではなく「花井美里乳首透問題撮」でもなく、「花井美里透乳首問題撮」。もはやこれは雑誌の見出しなどではない。じゃあなんなんだというと自分にもわかりませんが、言葉を超越した彼岸の境地にそれはあるようにおもうんです。ただひたすら、神様ありがとう、みたいなところにそれはある。ああ。ああ。神様ありがとう。なにいってんだばかめ。そんな話じゃなくて西尾維新だ。これはこのさきよんでていいコトがあるのか。だれかおしえろ。じゃなくてじぶんでしらべりゃいいのか。ネットなんだから。でもそれもなんかめんどくさいし。本はページを透かしてよむわけにはいかんからなあ。ページのさきが透けてみえて、ついでによむ価値があるのかどうかまであらかたわかったら便利なんだが、そんなことはできん。そういった意味でも透乳首はえらい。えらいのか。つうかもともとこんな話をしようとはおれはぜったいしてなかったぞ。なんなんだもう。

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